沖縄通信(第1号)

 西表島での診療所での赴任生活を終え、20094月からは沖縄本島中部に位置する金武町にある「琉球リハビリテーション学院」勤務になった。今年で沖縄生活は4年目。どっぷりと沖縄の生活に、はまってきている。

 最後の「西表通信」を掲載してから1年10ヶ月の歳月が流れてしまった。来年か還暦を迎える。いつまで生きられるか分らないが、生きてきた証として残しておきたい。これからまた「沖縄通信」という形で書こうと思っている。

 

 現在の職場である「琉球リハビリテーション学院」は、理学療法学科、作業療法学科、言語聴覚学科、社会福祉学科そして私が所属する柔道整復学科がある。柔道整復師とは簡単にいえば接骨院の先生である。その先生の資格を取るための学校がこの学校である。

 私が教職に携わるようになったのは三井さんの経営する「蓮」のそばにある「中央医療学園専門学校」が2002年に創設してからだから、8年前になる。人と人との付き合いって非常に面白い。私が大学院卒業後、昭和63年に柔道整復師の資格を取るために四谷にある「東京医療専門学校」に入学したが、その時に2年生の時の担任が中央医療専門学校創設に関与した先生であった。その為私の自宅が近くにあるということを覚えておいて下さり、講師としてお声がかかった次第である。

 

 歯学部在籍時代は自慢ではないが、劣等性であった。そんな私に講師が務まるか非常に不安であったが、教えてみると面白い。教えるためにはかなり自分で勉強しなければならないが、今になって学問ってこんなに面白いのかと痛感してしている。こんなことなら学生時代もっと勉強しておけばよかったなどと思っているが、学生時代は資格を取る目標にだけ勉強していたのだからしょうがない。今は自分が面白くなければ、その面白さが学生に伝わらないと思いながら、資料作りをしている毎日である。

 

 柔道整復師の免許取得後、続けて鍼灸あんまマッサージ師の免許を取るために同じくと東京医療専門学校に通った。歯科診療所は大学院3年生の時に父の亡くなった後すぐ跡を継ぎ、専門学校の通算5年間は歯科診療をしながらの学生生活であった。きつかったけれど、学生に戻って楽しかったなぁ!

 そういった遍歴が今の教師生活でいきているのかもしれない。

 

 中央医療学園専門学校の非常勤講師をしながら、2005年には北海道テクノロジー学園の、そして2006年には盛岡医療専門学校の非常勤講師を務めた。これも非常に私にとって貴重な体験となった。まさか札幌、盛岡に日帰りをするとは思っていなかった。でもやればできるんですね!朝一で行って、最終で帰って来る。そんな生活をしながら、ちゃんと歯科診療もしていました。今思うとすごく濃い2年間を送りました。

 そして2007年からは西表、2009年からは沖縄本島暮らしが始まりました。27歳から父の跡を継いで診療所をやってきましたが、ずっと夢に持ち続けていたのが離島診療でした。

夢は持ち続けていれば、必ず叶う。でもそれは自分を支えてくれた家族、そして周りの皆さんのお陰です。自分一人では到底叶いません。自分を取り巻いているすべての人に感謝です。そして今生かされていることに感謝です。日本は高齢者社会です。女性の平均寿命は86歳。男性は79歳ですが、これは寝たきりの方も入っての年齢です。元気で長生き、逝く時はコロッと、これが理想です。

 

 9月2日に私の姉が天に召されました。65歳でした。女性ではこれからという時でした。

2年前に膵臓がんで余命3か月と宣告されました。膵臓がんは初期の段階では分からず、判明した時には大体末期の状態です。それが本人も免疫力を上げるためにいろいろなことをやりましたし、家族の支えがありました。やりたいことをやり、非常に充実した2年間でありました。8月29日には本人が企画し子供、兄弟を集め、食事会を催してくれました。自分でももう長くないと悟ったのだと思います。そしてその3日後に逝きました。

高齢の母のことを心配し、そして出来の悪い弟のこともいろいろと心配してくれました。

兄弟でも結婚して家族を持つと疎遠になってしまいますが、この2年間は会う機会も多かったです。彼女の人生、ご主人とも早く死別し、本当に波乱万丈でした。

すばらしい生き様、そして素晴らしい死に様をみせてもらいました。

ありがとうございました。紙面を借りまして、謹んで姉の冥福を祈りたいと思います。

                                     合掌

 

●9月10日(金)晴れ

那覇発1230

午後5時

 太極拳の大塚氏が車をくれるというので、彼の住んでいる馬橋まで取りに行った。車はトヨタのワンボックスカー「レジウス」。初年度登録は平成9年だから13年経っていることになる。走行距離は10km余り、外観は13年経っているとは思えないほど綺麗である。ただエアコンが効かないという。

 自宅隣の駐車場まで運転したが、なかなか乗り心地はいい。

 

●9月12日(日)晴れ

 

 大塚氏よりいただいた車を沖縄に運ぶために、午前10時三ノ輪の自宅を出発した。本日の目的地は京都。ナビもついているが、13年前のなので使い勝手が悪いし地図も変わっているけれども、まあ使えないこともないので使うことにした。

 午後1時、浜松SAで鰻重を食す。浜名湖はウナギの養殖で有名だが、それほどの感激はなかった。ウナギは南千住の「尾花」が最高! 皆さん、一度はご賞味あれ!

 午後5時に今日の宿泊先である二条城近くの「モントレーホテル」に到着した。

 

●9月13日(月)晴れ

 午前9時、ホテルを出発。西宮SAで休憩していたら、若い男の子に声をかけられた。

ヒッチハイクをしていて福岡まで行きたいのだけれど、乗せてくれないかとのことだった。

阪大3年生で明日タイ行きの飛行機に乗りたいのだという。

 私一人だし荷物も少ないので乗せられないことはない。二人ともなかなかの好青年。女性であればもっと良かったのだが----。エアコンが効かなくてもいいというので、とりあえずOKを出した。

走っている間は運転席と助手席の窓と天窓は全開。それでも暑い!高速道路をただひたすら走り、今日は宮島まで行くことにした。

 

 二人とはここでお別れ。経済学部の竹内隆介君、理学部の常石 準君、お疲れ様でした。宮島SAからはうまく乗り継ぎができたかな?若いっていいねぇ、失敗を恐れずいろいろなことにチャレンジできて。

 

 30年以上前宮島に来たことがあるがその時は島に渡って参拝しただけだったので、今回は宿泊することにした。車を宮島口の駐車場に停めて、宮島には午後4時に到着。まず無難な所で国民宿舎「杜の宮」があったので電話してみたら、平日のためか空いていて泊まれることとなった。一人なので加算料金があり、それでも朝食付きで7,500円。外観もいいし、中も綺麗だし、大浴場もあり、大満足である。

 夕食は外に行ったが、お土産やばかりで食事するところがみあたらない。開いてなければ、宿に帰ってビールとおつまみだけでもいいか、などと考えながら歩いていたらやっと1軒あった!

 

●9月14日(火)晴れ

 朝食をとりチェックアウトしてから、午前中は島巡りをすることにした。島の地図を見てみると意外と大きい。山に登りハイキングがてらに回ると、まる1日はかかりそうである。

 

 昔から「神の島」として崇められてきた宮島は、美しい瀬戸内海に浮かぶ歴史と浪漫の島である。

 厳島神社の雅やかな社殿や朱塗りの大鳥居が紺青の海と島の自然に見事に調和して、平安朝の優雅さを醸し出している。桜やもみじが美しい渓谷と、古代からの姿が大切に保存されている弥山原始林、それらの変化に富んだ風光は古くより人々から愛され、松島、天橋立とならんで日本三景の一つになっている。

 平成8年(199612月には世界文化遺産に登録され、美しく豊かな自然と厳島神社などの数々の建造物や文化財を守り続ける努力が引き継がれている。

 

 島巡りをし、今日の夜の夕食用に宮島口のお店で名物の穴子飯を購入し、駐車場を出発したのは午前11時をまわってしまった。

 

 高速に乗り、今日の宿泊場所の大分県「長湯温泉」を目指す。地図で見ていたらそれほどではないと思っていたが、意外に距離がある。大分県に入って由布ICで高速をおり、一般道に入る。山道を通って約1時間、午後6時やっと長湯温泉「かじか庵」に到着した。

部屋は綺麗だし、狭かったけれど一人では十分な広さだった。

ここの温泉は炭酸泉。チェックインしてまずは近くの「ラムネ館」に入湯しに行った。

入浴すると全身が銀色の泡に包まれる。この不思議な体感は、療養や癒しといった日本古来の温泉分化の本質を教えてくれる。

 

一万の真珠

 

いちばんきれいなのは 炭酸泉

一万の真珠が 肌につく

まるで 露をむすんだ牧場のよう

地球のあちらとこちらを

「一万の真珠」がむすんでいる

 

●9月15日(水)曇り

 6時起床。昨日は外湯だったので、朝は内湯に入りに行った。

 

今日は最終目的の鹿児島港までのドライブである。午前8時出発。昨日チェックインの時は分からなかったが、素泊まりだったので当然宿は持ち込みOKだと思って飲食物を持ち込んだのだが、よく見たら持込不可の張り紙がしてあった。ゴメンナサイ!

 

 太極拳の大塚氏の実家が高速ICのすぐそばだったので、寄ることにした。前に沖縄からオートバイで帰る時にも寄ったのだが、彼のお母さんが一人で畑を切り盛りしている。時間がないのでご挨拶を早々に切り上げ、失礼した。

 

 鹿児島港出航が1800なので、少なくとも1700までには港に着いて手続きをしなければと思い結構とばしたせいか、1600過ぎには到着した。

フェリー代は運転手の乗船代込みで78,500円、車長が5m未満なので意外と高い。後で気が付いたのだが、ジャフの会員証を提示すると1割引だった。この値段で1割引は大きい!

もっと分かりやすく表示してくれればいいのに、と後悔しきりであった。

 沖縄本部港到着が翌日の1600、まるまる1日の航海である。船旅は楽しい。一人であるが、本を読んだり酒を飲んだりで結構時間がつぶせる。

 

●9月16日(木)晴れ

  1600本部港到着。12日に東京を出発して、5日目に沖縄本島に上陸である。

 

  1700我が家に無事着いた。エアコンが故障していて暑かったが、いろいろなことがあり、なかなか楽しかった。

 

●9月17日(金)晴れ

 午後から車の名義変更のため、浦添市にある陸運局に出かけた。まず車庫証明をもらおうと思って警察に行ったが、私の住む宜野座村は土地が余っているせいか、車庫証明は必要なかった。それで住民票と印鑑登録をもって出かけたが、陸運局では特に面倒くさい手続きもなかった。自分で前後のナンバープレートはずし、それと新しいプレートを交換してもらい、それを自分で付けて終了した。

 名義変更というと何だか難しそうなイメージであったが、自分でも意外と簡単にできるので皆さんも機会があったら挑戦してみたらいかがでしょうか?

 

●9月19日(日)〜20日(月)

19回日本柔道整復接骨医学会が富山の国際会議場で開催された。我が琉球リハビリテーション学院からは、3人で出席した。那覇空港からは小松空港にしか飛んでいないので、小松空港から富山駅まで着くのに結構時間を要した。

 学会に限らず、自分の知らないことを聞くことは楽しい。ただこの歳になると、聞いている時には納得しているのだけれど、時間が経つとすぐ忘れてしまう。まあ、しょうがないか!!